日本鄭氏(国姓爺)子孫会 第一回活動報告

2008年4月13日(日)日本最初の喫茶店「可否茶館」跡地記念碑設立除幕式参列


左から星田氏、福永氏、関口さん、柄沢氏、関野氏

◆4月13日は、珈琲の日◆
当日の読売新聞の一面のコラム欄に書いてあった。
読んだ方も多いと思うが、上野下谷に「可否茶館」と言う喫茶店を開いたのが、日本で最初の喫茶店誕生だった。
頃は、明治21年のこと。
開いた人は、鄭永慶氏である。
鄭永慶氏は、明治維新後北京代理大使も務めた鄭永寧氏の次男で、本人も外務省・大蔵省を経て、高尚な理想を抱いて「可否茶館」を開いたのだ。
ただ、時代は鹿鳴館の頃で、欧州文化華やかなりし頃に、一般庶民のための喫茶店を開いたのであるが、時代はまだそれを許さず、無念にも経営成り立たず、アメリカ・シアトルに出奔し、若くしてシアトルで亡くなっている。
何を隠そう、その鄭永慶氏は、私のひいおじいさんの鄭永昌の弟である。
その祖先は、江戸初期に中国・台湾で有名な「鄭成功」の弟である。
日本コーヒー文化学会常任理事の星田宏司氏が、音頭を取って、上野の可否茶館跡地である現三洋電機の玄関脇植え込みに記念碑を建て、本日除幕式及び祝賀会を催した。
私も日本鄭氏(国姓爺)子孫会の会長として、その記念碑設立発起人のひとりとなり、鄭一族が駆けつけることとなった。
この記念碑設立にこぎつけるまでは、いろいろな人のつながりが寄与しているとお聞きしている。
まず、20年前に「日本最初の喫茶店」の著書を書かれた星田氏、それを読んでシアトルまで、鄭永慶の墓を探しに行った野口氏、星田氏と野口氏の間を取り持った斉藤氏(子孫会客員)、及び子孫会の関口富美子さんなどなど。
私も、祝辞を述べさせていただいたが、ペンションで毎日入れているコーヒーにも、努々怠ることなく、美味しいコーヒーを入れることを、コーヒー大好きの方々の前で不遜にもお誓いしてしまった。
私の入れるコーヒーは、皆さん美味しいと言ってくださるが、まだまだ奥が深いコーヒーである。
今後もこだわりを持って入れてゆきたい。



関口さん、福永さん、柄沢氏、波多純子さん、輿石氏、神谷夫人、斉藤氏、神谷氏
野口氏

◆詳しい経緯◆
星田宏司さんが書かれた日本最初の喫茶店「可否茶館」の歴史に詳しく述べられているので、是非ご一読いただきたいが、簡単に経緯をご紹介する。
まず、星田さんが、20年前に上記本を書かれた。
その本を読まれた野口孝志さん(経営コンサル)は、クライアントの喫茶店のオーナーに、ブログを書く事を勧めたが、自分が書くことになり、日本最初の喫茶店のオーナーの鄭永慶の墓探しに、2000年にシアトルまで出かけ、見事に探し当てた。(シアトルでの永慶の名前は、西村鶴吉)
野口氏は、星田氏とメールでコンタクトを取ろうとしたが、星田氏はパソコンを操れず、連絡が取れなかった。
一方、2002年7月の長崎平戸で行われた「鄭成功聖誕祭」に、永慶の妹「トラ」のひ孫の関口富美子さん親子と永慶の孫の福永慶太郎さんが、偶然にも同じ年に参加された。
それまでは、私も関口さん、福永さんともに面識なく、また、系図にはお二人とも記載されていなかったので、奇跡としか思えない偶然で、三人が回り逢える事になった。
関口さんは、永慶の足跡に興味を持たれ、福永さんと共に、野口さんが探し出されたシアトルまで、墓参に行かれた。
2006年になり、星田さんのもとを新聞記者から中国著名人の歴史を書かれている斉藤孝治氏が訪れた。
斉藤氏は、「鄭成功」の著書を出版すべく、調査をし始めたばかりで、我が家(横浜)にもお見えになって、いろいろお尋ねいただいていたのであるが、鄭永慶の事を書かれている星田氏に何か知っていることは無いかと、訪ねて行かれたのである。
星田氏にとっては、逆に斉藤氏の情報の方が、有意義であった。
星田氏は、野口氏とコンタクトするすべ(住所・電話番号)を持たず、斉藤氏は、ジャーナリストであることから、そこら辺の調査を既にされていて、野口氏との橋渡しをしてくれた。
また、子孫会の存在もお聞きになり、その橋渡しをしていただいたのも斉藤氏である。
2007年に野口氏とのコンタクトを果たし、同年、文化学会のツアーでシアトル墓参も実現された。
そのツアーの帰り道に、記念碑を建てる話が出たのである。
その後、台東区との話し、富士電機リテイルシステムズからのコンタクトがあり、跡地である三洋電機にお願いして、記念碑の建設できることが2008年の2月に決定したのである。
それからの募金活動や建設の準備をされて、瞬く間に4月13日を迎えたのである。


◆祝賀会◆
除幕式の後、三洋電機さんの社屋にある食堂を借りて、祝賀会が催された。
星田氏の開会宣言の後、いの一番の祝辞に私が指名されてしまった。
ペンションの話やら、鄭成功生い立ち・子孫会の話などさせていただいた。
その後は、ユナイテッドコーヒーの柄沢氏、乾杯、三洋電機の方、UCCの方、キーコーヒーの方、ユニマット・キャラバンの方、野口氏、大和屋さん、大阪のヒロコーヒー社長などなどと続き、最後に設立に裏方として活躍された冨士電気リテイルシステムズやUCC博物館の方々のお話で締めくくられた。
勿論、当初の話では、前に立って話すことは無いと思っておられた関口さんや福永さん、神谷さんの鄭一族も、挨拶された。
このように、盛大の中にも和気藹々と、みなさん本当にコーヒーを愛していらっしゃるのだなぁと感じさせられるような、エピソードを盛り込まれて、お話され盛況の内に幕を閉じることになった。
おみやげをいただいた。冒頭に出ていた星田氏著書(2008年4月に新装されたもの)とユニマット・キャラバンコーヒーのコーヒー豆。
キャラバンコーヒーは、北海道で知らないものは無いと言ったコーヒー店「可否茶館」を経営している会社である。(商標登録)